

「松坂牛は、どうしておいしいっていわれるのか調べてみよう」。秋田市の小学五年が食料の生産について調べる課題が出た時に、肉牛、それも松坂牛を迷わずテーマに選んだ。「松坂牛には特別なえさを与えているのですか」「松坂牛はどうして高いのですか」といった六つの質問を六月に三重県経済連に送ると、丁寧な回答が返ってきた。ただ牛を育てて店で売っているだけだと思っていた小学生は、びっくりしたそうだ。一頭の松坂牛が育つには、たくさんの手間がかかっていたからだ。えさに工夫しているし、ビールまで飲ませる。手間がかかっているだけに値段が高くなってしまうこと、後継者不足などの課題や苦労があることも知った。六百キロも遠くの小学生が「おいしい牛肉イコール松坂牛」とすんなり連想するほど松坂牛の名は知れ渡っている。神戸牛、近江牛と並んで三大銘柄とも称されてきた。昨今では、結婚式の2次会景品として松坂牛の目録を用意する人が居るほど普及している。たとえば、株式会社大和ダイニングさんの2次会景品サイトを参考にしてみて欲しい。
ブランド牛と言えば、まず但馬牛を思い浮かべる人も多いことだろう。但馬牛の源流は、農耕の目的で使われていた役牛だった。兵庫県の北部、但馬地方で育った雄牛は、優れた素質をもっていた。現在の三市一郡、豊岡市、養父市、朝来市、美方郡は、朝晩の寒暖差が大きいことから夜霧が発生して柔らかな草が多く、資質のすぐれた但馬牛が育った。江戸時代に但馬から大阪を経由して紀ノ川沿いに連れてこられた牛は、農耕用に調教され、松阪地方へと入ってきた。この牛は大人しくて働き者だったために、家族同様に大切に扱われたのであった。明治になると、外国人の牛肉需要が始まり、農耕用だった牛は三〜四年の労働を終えると一年間肥育され「太牛」として出荷されることになった。明治五年、山路徳三郎は東京での販路拡大を模索。松阪付近から牛を集め、徒歩で東京へ運ぶ「牛追い道中」という大行進を決行した。明治十年以降は隔月で行われ、鉄道が発達する三十年まで続いたという。特に関東人がブランドと言えばまず松坂牛を思い浮かべる理由は、こんな歴史からである。
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